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東京高等裁判所 昭和35年(う)2446号 判決

控訴人 被告人 吉沢正文

弁護人 林百郎

検察官 岸川敬喜

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は被告人及び弁護人林百郎提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官岸川敬喜提出の答弁書のとおりであるからここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

弁護人の論旨第一点及び被告人の論旨一について。

原判決か肯認した本件起訴状の公訴事実は、「被告人は日本人であるが、昭和二十八年一月頃より昭和三十四年十二月初旬頃までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦内より本邦外の地域である中華人民共和国に行く意図を以て出国したものである」というのであつて、出国の時期として約七年の期間を以つて示し、出国の場所については本邦内よりとし、出国の方法が示されていないことは所論のとおりである。しかし刑事訴訟法第二百五十六条第三項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定した所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定すると共に被告人に対し防禦の範囲を示し且つ既判力の及ぶ範囲を明かにして二重処罰の危険から被告人を保護しようとするものであるから、裁判所の審判の対象が限定され、被告人の防禦に支障を与えず、既判力の範囲が明かとなり二重処罰の危険がない限り、起訴状に公訴事実を記載するに当り犯罪の日時、場所及び方法を一一具体的に明示しなくても罪となるべき事実の特定があるものと解すべきである。尤も訴因を明示するため犯罪の日時、場所、方法を以て罪となるべき事実を特定することを通例とし、本件の如き訴因の明示方法によつて罪となるべき事実を特定することは稀な事例ではあるが、捜査の結果遂にこれを具体的に明示することができない場合は前記法律の目的に反しない限り例外としてこれを認めるべきであつて、だからこそ同条項は前記の如くできる限り云々と規定しているのである。所論は原判決において、被告人が出国したと認定した約七年の間には同種の行為が二回以上行われたかも知れない合理的な疑が十分あり、そしてその二回以上行われたかも知れない個々の独立した行為が公訴事実に包含されているから、本件公訴の提起は公訴事実の特定を欠き無効であると主張するが、本件起訴状の記載は検察官において被告人が昭和三十四年十二月十五日中華人民共和国から帰国した事実に対応する出国即ち右帰国に最も接着する日時における出国の事実を起訴した趣旨と解すべきことは明らかであつて、所論のように二回以上行われたかも知れないすべての行為を起訴したものではない。蓋し右帰国に対応する出国はただ一回であることは物理上当然だからである。そして若し仮りに後に至り右期間内に二回以上出国していた疑が生じたとしても、その二回以上の出国が既に確定判決のあつた出国の事実とは別の出国であることの立証ができない限り被告人の利益に従い後の起訴は二重起訴として公訴を棄却すべきであるから二重処罰の危険はない。次に所論は犯行の時を本件のように幅の広い期間を設けて起訴されると、被告人はその期間中のあらゆる瞬間のアリバイを立証しなければ結局は何時か出国したと認定され検察官が挙証責任を負う刑事訴訟の原則に反すると主張するが、外国から帰国した者はその前にこの帰国に対応する出国をした事実の存することは論旨もいう如く、経験則上当然であつて、右事実を否定するアリバイの立証ということは存し得ないのであるから、本件のような犯罪については出国の期間に相当の幅があつても被告人の防禦に何等支障を及ぼすものではなくまた検察官の挙証責任の原則に反するものではない。それ故各論旨は理由がない。

弁護人の論旨第二点について。

所論は刑事訴訟法第二百五十五条にいう犯人が国外にいる場合とは「検察官が犯罪の発生及び犯人を確知し、捜査に万全の努力をしたのにかかわらず、犯人が国外にいるため十分な捜査ができなかつた場合」の意に解すべきところ、本件において検察官が被告人の出国を知つたのは帰国上陸直前であることは明らかであるから、本件は既に公訴時効が完成しているのに免訴の言渡をしなかつた原判決は法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。しかし刑事訴訟法第二百五十五条第一項は「犯人が国外にいる場合又は犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効は、その国外にいる期間又は逃げ隠れている期間その進行を停止する」と規定し、明らかにその前段と後段とでは時効の進行停止の条件を区別しているのである。即ち後段は検察官が公訴提起の手続に着手したことを前提としているのに対し、前段はただ犯人が国外にいるというだけで検察官が公訴提起の手続に着手したと否とを問わないことはその文理解釈上疑問の余地はない。時効制度は、日時の経過による犯罪の社会的影響の微弱化、可罰性の減少、証拠の散逸による真実発見の困難性等に由来するのであるが、元来時効の利益をどの程度に与え、又時効完成を阻止する事由をどのように定めるかは立法政策上の問題であつて、従つて犯人が国外にいる場合に当然時効の進行を停止すると規定しても何等差支なく、憲法第七十五条、皇室典範第二十一条の規定もこれを示すものである。刑事訴訟法第二百五十五条第一項において、犯人が国外にいる場合に時効の進行を停止する旨規定した理由は、犯人が国内にいる場合に比較し刑事訴訟法の効力の直接及ばない国外に犯人がいるときは、訴追機関において捜査の端緒をつかみ犯罪を覚知し得る機会に乏しく且つ捜査の端緒をつかんでも捜査の遂行は殆んど不可能であり、公訴権の行使が不可能か或は多大の困難を伴い到底円滑な公訴権を実現し得ないので、犯人が国外にいるという一事によりその期間当然時効の進行を停止することとしたのである。所論は犯人が国外にいたとしても勤務先の都合により一時国外に移住したような場合に、国外にいたということだけで時効の利益を失い、また国内にいた共犯者は犯罪が捜査機関に発覚されることなくして時効期間を経過すれば時効の利益を受けるのに、国外にいた共犯者は時効の利益を受けないのは不合理であると主張するが、かかる現象は所論のように捜査機関が犯罪の覚知を前提条件とする場合でも起り得ることは明白であつて、刑事訴訟法第二百五十五条第一項の前段と後段とを統一的に解釈しなければならない理由とはならない。所論は独自の見解にすぎず採用し難く、論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 岩田誠 判事 渡辺辰吉 判事 秋葉雄治)

弁護人林百郎の控訴趣意

第一点原判決には、刑事訴訟法第二五六条第三項の解釈、適用を誤つた違法がある。

一、罪となるべき事実の不特定

原判決は、公訴事実をそのまま認容し、罪となるべき事実においてその日時を「昭和二八年一月頃より昭和三四年十二月初旬頃までの間」と判示している。この期間は実に六年以上約七年に及んでいる。また、行為の場所及び方法については何らふれるところがない。つまり、出国の時期が長い年月で莫然と示されているだけで、あとは罪となるべき事実が法文の字句そのまま記載されているのである。被告人の具体的行為の記載は全くなく、約七年の間に出入国管理令第六十条第二項違反の罪を犯したものであるという主張判断が記載されているにすぎない。即時犯にとつて犯行の着手と完成は、特定の時点で行われるのであつて、特定の期間を必要としない。しかも、本件は、殺人犯等と異り、反復が可能なのであるから、被告人のいかなる歴史的行為が追及されているのか不明である。このような長期間の判示は、場所及び方法の不明とあいまつて、罪となるべき事実の特定を欠き、不適法極まるものといわなければならない。

二、行為の反復困難と公訴事実の特定

本件の行為は確かに短期間にくり返し行いがたいという特色を有している。しかし、本件は即時犯であつて、反復が困難であつても、出国の時点を明確に示せというのが法の要請である。しかも密出入国者が相当数に上る今日六年以上に一回だけの出入国の可能性があるという判断は成立しない。本邦を脱出する行為ならば月単位でさえも可能であろう。出国の時点を何年何月頃と示してさえも事実の同一性について疑問は残るであらう。本件においては、その期間の間に同種の行為が二回以上行われたかも知れないという合理的疑いは十分に生ずる。その二回以上行われたかも知れない。各々独立し異つた行為が、すべて、原判決の罪となるべき事実に包含されるのである。出入国が、いかに反復困難としても、本件記載では到底事実の独自性、歴史的一回性が示されていないというベきである。別に存在すると観念される同種の事実から区別できない記載の公訴事実はいかなる意味でも特定していない。

三、捜査の困難及び被告人の黙秘権行使と公訴事実の特定

原判決は、「審判の対象が明確になり、被告人の防禦に支障がなければ、検事が捜査上十分な努力をしたけれどもなお日時を明確にできかつたときは、訴因の明示を欠いても適法と認める」旨及び「公訴事実が特定し、かつもつともよく事実を知るものは被告人であるところから被告人の防禦についても何等支障はない」旨述べて、本件捜査の困難さと暗に被告人が黙秘し、反証を提出しないという点を訴因の明確性判断の一素材にしている。しかし捜査の困難の度合に応じて訴因の明確性をゆるめてよいという立論はおよそ非法律的であるし、この論理を貫くならば、訴因の明確さは際限なくゆるめられ、遂には公訴事実の特定について厳重な規定を設けた法の趣旨は全く没収されてしまうであろう。また被告人が黙秘している等の事情によつて、訴因を明確にすべき検察官の義務が軽減されるものではない。被告人は、捜査段階以来一貫して黙秘権が認められており、公訴事実に対し、それを認容することも、否認することも、黙秘することも、全く自由である。被告人は捜査に協力する義務を負うものではない。公訴事実の特定は、被告人の公訴事実に対する態度以前の問題である。

四、被告人の防禦権と公訴事実の特定

「被告人が最もよく事実を知つているのだから、防禦には何等支障がない」旨の原判決の指摘ほど、防禦権について無理解を示し人権感覚を疑わせるものはない。確かに被告人は事実をよく知つているであろう。しかし、事実を知ることと、防禦することは全く別のことである。本件のような幅広い期間を設けて攻撃された場合、被告人はあらゆる瞬間のアリバイを提出しなければ、結局、いつか出国したとされてしまうであろう。一般的に本件のような幅広い期間を設けることが許されるとするならば、結局において、被告人が無罪を、しかもあらゆる時期において無実であることを証明しなければならなくなり、検察官が挙証責任を負担するという刑事訴訟の大原則が崩れることになる。また被告人の反証をまつて訴因を特定していくというやり方も右の原則に反し許されない。外国から帰国した以上、出国したに違いないという判断は、経験則上決定的である。しかし、審判の対象はあくまで、そのような一般的判断ではなく、被告人の出国という日時、場所、方法の明確さを備えた具体的行為である。公訴事実が法の要求する程度の具体性、明確性をそなえているかどうかの判断に際し、右の経験則を持ち込むことは許されない。むしろ、公訴事実の特定の問題は、証拠に基づく経験則上の判断以前の問題である。

五、最後の出国を起訴する趣旨と公訴事実の単一性

原判決は仮りに二回以上の出国の事実があつたとしても、最後の出国を起訴したものと認められるから、公訴事実は特定している旨判示している。元来、本件公訴事実は出国したという事実であつて、帰国したという事実ではないし、後者をいくら特定しても、前者は特定できないのである。また公訴事実の記載はただ一つだけ許されるのであつて、二個以上の公訴事実の記載は許されない。そして、一つの公訴事実さえも厳格に特定し、一つの訴因で不充分な場合は、予備的又は択一的に他の訴因を記載して審判の対象を明確にすることが要求されているのである。原判決の摘示事実は、右のような区分さえ全く不可能な程あいまいである。それどころではなく、原判決は二回以上の出国をもその中に包含できる程不明確であることをも自認しているようである。二回出国したという場合は、公訴事実は二つである。公訴事実の予備的又は択一的記載が許されないことはいうまでもない。公訴事実は単一でなければならずこれに反する公訴提起は違法であり棄却を免れない。

六、結語

公訴事実の特定は、不充分な捜査で起訴することを困難にするとともに、起訴された者が、それに対し適切な防禦の対策を講ずることができるように、特段の明確さを要求されているものである。この手続は、刑事訴訟の基本である。とりわけ基本的人権の保障に関連する重大な法規の解釈運用は高度の安定性を確保する必要がある。明確な理論的根拠もなく、異例ともいうべき不明確な事実摘示を行つた原判決は、破棄されるべきである。

第二点原判決には刑事訴訟法第二百五十五条の解釈適用を誤つた違法がある。

原判決は、犯人が国外にいる場合には無条件で公訴時効の進行が停止するものとなし、本件時効の完成を否定した。しかし、刑事訴訟法第二百五十五条にいう「犯人が国外にいる場合」とは「検察官が犯罪の発生及び犯人を確知し、捜査に万全の努力をしたのにかかわらず、犯人が外国にいるため十分な捜査ができなかつた場合」の意に解すべきである。本件において、検察官が被告人の出国を知つたのは、帰国上陸直前であることは明らかであるから、右の意に解すると本件では時効が完成したといえるであろう。検察官の犯罪確知を時効停止の前提条件にしなければ、次のような不合理が生ずる。

一、各時効停止事由との矛盾

(イ)憲法第七五条は、時効は、罪を犯した人が国務大臣の任に在る期間その進行を停止する場合があることを示している。その特典の趣旨は、内閣総理大臣の意見によらずにその内閣の国務大臣が職務を正常に執行することが妨げられるような状態が発生することを予防するにある。けれども捜査は何等さしつかえがないから、捜査官は公訴提起の準備をして総理大臣の同意を求めるべきなのである。したがつて、国務大臣への就任とともに当然に時効は停止するのではなく、総理大臣の同意が拒否されたとき、はじめて時効は停止すると考えるべきである。総理大臣の同意を求めるというのは、捜査官が犯罪及び犯人を知つていなければできないことである。搜査官が犯罪を確知していて、同意を拒否されたときはじめて時効が停止するのである。憲法第七五条の場合は、捜査官が犯罪及び犯人を知らない間は時効の停止はないというべきである。

(ロ)皇室典範第二一条に規定する摂政の場合や、また総理大臣の場合も、時効の進行が停止するが、国務大臣の時効停止が捜査機関が、訴追し得る状況にあつたことを前提にしているように摂政や総理大臣についての時効停止もやはり、捜査機関の訴追し得る状況が前提になつていなくてはならないと解すべきである。

(ハ)刑事訴訟法第二五五条第一項後段の場合も、有効に公訴の提起若しくは、略式命令の告知をしようとしたが、犯人が逃げかくれているためにそれができなかつた場合を公訴時効の停止事由としているのである。いくら逃げかくれがあつても訴追されなければ時効は停止しないのである。

以上によつて明らかなように、いづれの時効停止も、捜査官の犯罪確知が当然前提となつている。国外にいる場合だけを特別に差別する合理的理由はあるだろうか。

二、国外を差別する不合理

犯人が国外にいたとしても、勤務先などの都合により一時国外に移り住んだような場合に、国外にいたということのゆえにのみで時効制度より受けられる利益を左右されるということになれば、不合理であろう。ことに国内にいた共犯者があつて、捜査機関に発覚されることなくして無事時効期間を経過していたとすれば国外にいたことのゆえをもつて如何に不利益をうけることになるのか理解しがたいことになる。犯人が国外にいることは、確かに、捜査の遂行や犯罪を確知するためには不利なことである。しかし、それが訴追にとつてでなく捜査そのものにとつて致命傷であるとはいえないであろう。とすれば、前記のような不合理を犯してまで、国外にいる場合を差別する根拠はないというべきである。

三、時効制度の本旨との矛盾

わが国の時効制度の存在理由は次のように説明されている。時間の経過により、犯罪の社会的影響が微弱化し、可罰性が減少すると共に双方の証拠が散逸或いは消滅するため、結局真実の発見が期し難いためであると。犯罪が発覚していない場合は、一層、犯罪の社会的影響は微弱であるし、双方の証拠も散消し易いといえるであろう。この論理に逆つてまで国外にいる場合を差別する根拠はないというべきである。

結局、何事もなく経過した事実上の状態を尊重しようというわが国の時効制度は犯人の国内、国外のどちらにいるかを問わず、犯罪が発覚していないときには時効を停止せず、時効を進行させるという考え方に立つているというべきである。この考え方に立つ限り本件時効は完成している。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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